anecdote9何、食べる?
2008 / 03 / 09 ( Sun )
何、食べる?





彼と待ち合わせをした。
金曜日の午後七時、紀伊国屋の雑誌売り場。
後悔した。
人が多い。
見つけられるかな?と不安に思いながら待ち合わせよりも十分も早く来た自分のことを彼に見られるのがイヤで、店の奥の、意味も分からない専門書のコーナーを見て、文具売り場を冷やかして、それから文庫売り場で一冊、前から買うつもりだった本を買って、やっと雑誌の棚の前に立った。
パソコン雑誌を手に取ったのは彼がシステムエンジニアだからではない。
どうせ、雑誌の中身なんて分からない。
今の僕の頭の中には何も入らない。
彼との待ち合わせというだけで頭がいっぱいだ。
別に初めてのデートと言う訳ではない。
飽きるほど体を重ねている。
何年も付き合っている。
でも、同棲をしてから、今日は初めての外での待ち合わせなのだ。
「今日、早く終わりそうなんだ」
朝、いつも帰りの遅い彼が言った。
「もし仕事が早く終わりそうなら・・・」
僕よりも背の高い彼が、僕の顔を覗き込む時のスベテが僕が好きだから、僕は彼が全部を言う前に真っ赤になって俯いて、それから頷いた。
「メールする」
そう言って玄関先で彼は僕にキスしてくれた。
定時に出かける僕と違って、彼の出勤時間は日によって違うから、僕たちは、まだ一度もいっしょに通勤したことがない。
どうせ駅までの二分ほどだけれど、いつか、いっしょに通勤できたら、うれしい。
そう、僕たちの同棲は、まだ一ヶ月ちょっとしか経っていない。
とても不安で、とても幸せな時期だ。
誰かと、いっしょに住むなんてゲイだと自覚してから一度も考えたことがなかったから、今でも不思議な感じがする。
夢のように現実感がない。
ずっと続くのだろうか?
ずっと続くはずがない。
僕は彼が同棲を言い出す少し前に「おひとりさまの老後」という本を買った。
老後のことが頭の隅に浮かぶ年齢に僕はなっていた。
彼のことは好きだった。
でも、いつか別れる時が来ると思っていた。
それは確信だった。
だから同棲は今でも実感がない夢みたいだ。
その上、同棲相手と週末に待ち合わせをして、食事をして、同じ家に帰るなんて!
共働きの夫婦みたいなことをすることがあるなんて!
顔は雑誌に落ちていたけれど、目の隅に集中していた書店の入り口に彼の姿が見えた。
彼は僕をすぐに見つけてくれるだろうか?
近づいてきた彼が僕の肩に軽く触れたら、僕は初めて気づいたフリをして、ゆっくり雑誌を本棚に戻そう。
「何、食べる?」
今日一日、会社で考えた言葉は、ちゃんと言えるだろうか?
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